山田ゴメスの俺の恋を笑うな
ヌカれるはずのヒトがヌカせない写真集でヌクということ
ある日、ボクの事務所に一冊の写真集が届いた。「可能ならば、どこかの媒体で取りあげてもらえないか?」ということである。この手の依頼は今でもけっこうあったりするので正直、面倒臭いっちゃ面倒臭いが、依頼人は、あのカリスマAV嬢・大塚咲サマ。もう言うまでもない、ボクのアイドルである。コイツは一肌脱ぐしかないわいな、と手に取ってみると……?
男が、キレイな景色だとかお洒落な家具だとかではなく、女性を被写体とした写真集を購入する場合、大なり小なり目的に“ヌク”があるのは否めない。そして、そんな写真集でヒロインを演じるのは、みずからのエロティックな肢体を公然と武器にする着エロアイドルやAV嬢だったり、「まさかこのヒトが脱ぐなんて!?」といった大物女優だったりするのが大半だ(まれに、「そんなつもりで撮られたはずじゃないのに、結果として(ズリ)ネタとして使われてしまう」ケースもなくはないが……)。
そういう意味で、この大塚咲によるセルフポートレイト写真集
『密賣NUDE』
は、ヌキ手にとってはテッパン……であるハズなのに、申し訳ないけど全然ヌケないのだ。なにがヌケないのかってえと、一言で言えば
「芸術度が高すぎ!」
なんである。さっそく本人にクレーム、ならぬ本作品の意図するところを伺ってみると、こんな答えが返ってきた。
「テーマは“水”、“ウエッティ”です。太陽のような天真爛漫さは、私には似合わないと思ったので。水に包まれてぼんやりと浮かんでくる私自身の肌のディテールにこだわってみたのですが、ご指摘のとおり、“ヌク・ヌカない”の観点でいえば、少々キツイかもしれませんね(笑)。だって、私が今さらわかりやすいエロを撮ったところで、ネットとかで検索すれば、もっとエグイのがゴロゴロ転がってますから。どうせなら、既成の大塚咲のイメージを一度ブチ壊してしまおうか、と……。編集さんもそう納得していただいたうえで、積極的に協力してくださいました」(大塚さん)
なるほど。被写体本人がヌカれることを放棄してしまっているんだから、ネットとかでゴロゴロ転がっている“もっとエグイの”を検索してはヌイているボクとしては、たしかにキツイ。
ヌカれるはずのヒトがヌカせない!
ケースは、案外斬新なような気がしないでもないけど……。ただ、よくよく考えてみると、AKBにせよ、存在価値の延命を計るグラビアアイドルにせよ、起死回生を狙う熟女タレントにせよ、
「この写真集の私でヌイてください!」
なんて公言しているヒトは滅多にいないのだから、これは
「コレでいいのだ!」
ってことなのかもしれない。たとえ、芸術度が高すぎであろうとも、そもそも美術、とくに西洋美術自体が、20世紀初頭くらいまでは男性目線で、半分以上の作品のテーマが“エロス”だったわけで、要は、
「よっしゃ! じゃあオレ、こんなゲージュツでもヌイてやるよ!!」
といった、一種のサディスティックともいえる凸撃精神をもって写真集に臨むのが、ネット・エロス全盛の昨今では、対する正しい姿勢なのではなかろうか? とどのつまりが、ボクの気合いが足りないだけってことなのだ。
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