チンコのような温かさで私を強くきつく抱きしめて――爪切男のタクシー×ハンター【第十三話】
幸せな時はいつも一瞬だ。
オナニーを終えたことで、一気に冷静になった思考回路が、胸の奥に必死で押し込めていた恐怖を呼び覚ました。
狭い、暗い、怖い、息ができない、死んでしまうかもしれない。
「うぁぁぁぁ!」と雄叫びを上げた後に「助けてください!」「もうしません!」「許してください!」と声の限りに助けを呼んだ。焼却炉の近くでタバコを吸っていた親父は、尋常ではない私の叫び声を聞きつけて、あわてて焼却炉の蓋を開けてくれた。恐怖に震える私の身体を、親父は強くきつく抱きしめてくれた。温かった。灰とチンコとは違った別の温かさだった。人のぬくもりと親父の大きさを知った。大人になった私が、誰かに強く抱きしめられたいという欲求を持っているのは、この時の親父の温もりを探し続けているからかもしれない。
大渋滞に巻き込まれてしまい、全く動かなくなったタクシーの中で私はこんなことを考えていた。タクシーの中も私にとっては立派な閉所である。徐々に閉所恐怖症が発症しつつあることを悟った私は、あの日の焼却炉の中と同じように自分のチンコを触ってみた。落ち着く。あの時から全く大きさが変わっていないチンコ。これからも何も変わらないチンコ。「引き続きよろしく頼みますよ」と小声でチンコに呼びかける。
「運転手さん、暇なのでオナニーしていいですか?」
「え? お客さん? え?」
「暇なのでオナニーしていいですかね」
「………」
「………していいですか?」
「………」
「………しちゃいますよ」
「………どうしてですか?」
運転手はこちらを振り返って言った。あの時のフランス人の女の子と同じような不思議そうな顔でこちらを見ている。
「そうですね……やめときます」
「本当によかったです」
程なくしてタクシーは動き出す。動き出したタクシーから見えるネオン街の眩しい光を見つめながら「家に帰ったらフランス人の女で抜くか、久しぶりに堀ちえみで抜くか」を考えていた。なぜだかとても幸せな気持ちで胸がいっぱいになって、軽く泣きそうになる。
「早くお家に帰ってオナニーをしよう」
タクシーはまたすぐに停車してしまった。
「やっぱりオナニーしていいですか?」
「………」
そろそろ夜が明ける。
文/爪 切男 ’79年生まれ。会社員。ブログ「小野真弓と今年中にラウンドワンに行きたい」が人気。犬が好き。 https://twitter.com/tsumekiriman
イラスト/ポテチ光秀 ’85年生まれ。漫画家。「オモコロ」で「有刺鉄線ミカワ」など連載中。鳥が好き。 https://twitter.com/pote_mitsu
※さまざまなタクシー運転手との出会いと別れを繰り返し、その密室での刹那のやりとりから学んだことを綴ってきた当連載『タクシー×ハンター』がついに書籍化。タクシー運転手とのエピソードを大幅にカットし、“新宿で唾を売る女”アスカとの同棲生活を軸にひとつの物語として再構築した青春私小説『死にたい夜にかぎって』が好評発売中

―[爪切男の『死にたい夜にかぎって』]―
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『死にたい夜にかぎって』 もの悲しくもユーモア溢れる文体で実体験を綴る“野良の偉才”、己の辱を晒してついにデビュー! ![]() |
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