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なぜ台湾は震災直後の日本に200億円もの義援金を送ってくれたのか――台湾在住30年の日本人作家が語る

記録ではなく“記憶”として残していきたい

 200億円もの義援金が台湾から送られた。では、これに対して日本はどうだったのか。物語はそれだけで終わらなかったのだ。  世界各国から温かい支援をもらった日本。震災から1か月が経過した4月11日、政府は感謝の言葉を『ウォール・ストリート・ジャーナル』など世界主要紙に掲載した。しかし、台湾という国ではない「国」はそこに含まれなかったのである。とはいえ、政府には政府の事情があるのだろう。これは、一説によると1972年の日中共同声明。「台湾は中国のいち地方である」という当時の中国側の主張に日本政府が配慮したのだとも言われている。当然、日本人のなかには納得ができない人たちも多かった。 「台湾の人たちにきちんと感謝の言葉を伝えたい」  ある日本人女性デザイナーの呼びかけで始まった『謝謝台湾計画』。彼女のTwitterのつぶやきがネット上で大きく広まり、約2000万円もの寄付金を集め、台湾紙『聯合報』と『自由時報』に感謝広告を出したのである。
感謝広告

実際に台湾の新聞に掲載された広告

 木下氏はこうした一連の事実を“小説”という形で書いたことについてこう言う。 「震災から6年が経ちました。人の記憶は忘れやすいものです。この作品は、取材や資料集め、構想から執筆まで2年3か月にも及びます。日本と台湾で30人以上の人に会いました。そのほとんどが事実をもとに書いていますが、あえて小説という形をとることで、たんなる記録ではなく、記憶として残していきたいと考えています」 【木下諄一】 1961年愛知県生まれ。東京経済大学卒業。商社勤務、会社経営を経て台湾に渡り、台湾観光協会発行の「台湾観光月刊」編集長を八年間つとめる。2011年、中国語で執筆した小説『蒲公英之絮』(印刻文学出版社)が外国人として初めて、第11回台北文学賞を受賞。著書にエッセイ『随筆台湾日子』(木馬文化出版社)など。 <取材・撮影・文/藤井敦年>
明治大学商学部卒業後、金融機関を経て、渋谷系ファッション雑誌『men’s egg』編集部員に。その後はフリーランスとして様々な雑誌や書籍・ムック・Webメディアで経験を積み、現在は紙・Webを問わない“二刀流”の編集記者。若者カルチャーから社会問題、芸能人などのエンタメ系まで幅広く取材する。X(旧Twitter):@FujiiAtsutoshi
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アリガト謝謝

東日本大震災への義援金200億円は台湾でどうやって集まったのか。そして、たった一人の日本人女性が巻き起こした奇跡の感謝広告「謝謝台湾計画」とは? 日本と台湾をつないだ名も無き人々の感動秘話!

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