仕事

歌舞伎町・10億円女社長の成功哲学「起業したいなら人に相談してはいけない理由」

背中を押してくれた、トヨタ社長の言葉

 起業後、同じフロアの隣の店舗が空いたので、大家に「借りてほしい」と頼まれたときも、「トヨタ自動車の豊田英二社長は『隣の土地は借金してでも買え』と言っていたから、内野さんも今がチャレンジする時期だよ」と、背中を押してくれました。  私が「銀座にお店を開きたい」と言ったときも、「歌舞伎町で培ったキャバクラの仕組みを再現し、システムを作って、従業員を徹底教育し、業務改善すれば大丈夫」とアドバイスをくれました。私が何の気なしに「こういうことをやりたい」と、言ったことを覚えていて、必要な知識が書いてある本をくれたことも。  なぜそんなことができるのか? これは、中川さんの人間力の賜物であると思います。  中川さんは誰に対しても親身に接します。必ず肯定的な意見を言った後、まるで自分の悩み事であるかのごとく、真剣にアドバイスをしてくれます。  そこには中川さんの今に至るまでの経歴が背景にあると思います。  中川さんは、大変苦労した人です。20歳のとき、六畳一間のアパートで会社を立ち上げて、社長になったものの、まともな会社になるまでに20年もかかったそうです。

中川さんが年商150億まで会社を成長させるまで

 20歳のときに両親が亡くなり、兄弟の生活費を稼ぐため、大学を中退。会社を起業したけど、仕事はなかなか来ない。できる仕事はなんでもこなし、朝から晩まで身を粉にして働いていたそうです。  社長といっても、お金は常にすっからかん。女性にもモテず、結婚してくれる人もなかなか見つからない。従業員の給料が払えなくて、恥を忍んで親族からお金を借りたこともあるそうです。  ついに不渡りを出してしまったとき、いよいよ会社が倒産すると思い、ビルを眺めてぼんやりと感傷に浸ったことも。それでも、なんとか立て直して、20歳から40歳までの20年は一難去ってまた一難の連続、お金や時間の余裕はどこにもなかったそうです。  40歳の頃、やっと会社が軌道に乗り、そこから10年かけて年商3億から150億まで会社を成長させました。中川さんは天才でも、特別な経営の才能があったわけでもありません。むしろ普通より不器用な人です。  ただ、会社を守るために、必死で目の前のことをひとつずつ、やりとげていったのです。人一倍打たれてきたからこそ、他人がやりたいことに賛同し、相談に乗っているのだと思います。  私は新しいことを始めるとき、誰にも話したり、相談したりせず、説得することもしないほうがラクだと思っていました。
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身近な成功者にだけやりたいことを話す
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